2021年8月24日 万年筆に嘘はつけない

 万年筆のインクを調達した。以前セーラーのカートリッジを買ったけれど型が合わず、すぐさま引き出しの中行きとなってしまったので、今回は瓶に入ったインク、コンバーターで吸い上げるタイプのものを買ってきた。しかし、手先が不器用な私にとってコンバーターで吸い上げるのはなかなかに至難の業。説明の通りペン先をインクに浸しキャップを回すが、一向にインクが入ってこない。最終的には両方の手の指先がインクの青色で染まってしまった。瓶に入ったインクに憧れがあったが、やはりカートリッジの方が詰め替えが楽で良い。手持ちの万年筆に合った型のカートリッジがあるかどうか分からないので、パイロットかセーラーの万年筆を新調するのも良いかもしれない。自分への誕生日プレゼントでも良い。

 何かと書き留めておくことが好きだ。食べたものや観た映画や芝居、その日あったことについて等々。そのほとんどはスマホのメモ、あるいはTwitterに書き留めているが、紙にも言葉を残しておきたいと感じ、三か月ほど前にノートと万年筆を買った。

 最初は万年筆を上手く扱うことができず、かすれてしまったり妙にカクカクしてしまったりと、書いた文字の一つ一つがとても息苦しそうだった。万年筆は麗しきものであるゆえ、文字を書くからには美しい文字を書かなくては恰好がつかない。何度も美しい文字を書こうと試みたが、結局一度も上手くいくことはなかった。そのうちなげやりになり、裏紙に適当に万年筆を走らせた。すると不思議なことに、これまでの中で最も滑らかに文字を書くことができた。美しくはないけれど、先ほどまでの息苦しさが消えた文字。きちんとした私ではなく、適当な私に応えてくれるとは。これいかに。

 万年筆は人に恰好をつけさせるどころか、その人の本性を引っ張り出してしまう。インクを得たことでようやく万年筆が息を吹き返したので久々に文字を書いてみたが、相変わらず力が抜けており、決して美しいとは言えない。そして多分この先も、美しい文字を書くことはできないだろう。書いた文字を見返して顔をしかめながらも、これで良いのかもしれない、とも思う。